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国防軍最高司令部(こくぼうぐんさいこうしれいぶ、、略号:OKW)は、国防軍最高司令官である大統領が国防大臣に直接指揮を「負託する」1922年来の仕組みを廃し、最高司令官であるアドルフ・ヒトラー「自らが」国防軍を直接指揮するために1938年に創設された組織である。 なお、この機関のヒトラーのもとでの役割を正確に伝えるためには、字義通りの「国防軍最高司令部」よりも「統合参謀本部(英︰Combined General Staff)」と訳したほうが良い、という説がある〔ヒュー・トレヴァー=ローパー(橋本福夫訳)『ヒトラー最期の日』(筑摩書房、1975年)41ページ。〕。 == 創設と役割 == ヴァイマル共和国においては国防軍(:1935年のドイツ再軍備宣言時に「」に改称)の最高指揮権は大統領が有して、大統領の負託を受けて国防大臣 () が国防軍を直接指揮する。1934年にパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領が死去した後、ヒトラーは首相職と大統領職を兼務し、国防軍の最高指揮権を手に入れた。しかし、ヒトラーは戦争をも辞さない自らの強引な外交政策に異を唱える国防軍上層部の存在を疎ましく思い、1938年2月にスキャンダルを理由にブロンベルク国防大臣とフリッチュ陸軍総司令官を失脚させた(ブロンベルク罷免事件)。 1938年2月4日、ヒトラーは「以後は自身が直接国防三軍を指揮する」と宣言、後任の国防大臣を任命せず、国防省の国防軍局()を発展的解消させて国防軍最高司令部を設置、新組織のトップにヴィルヘルム・カイテル大将を任じた。この職位は国防軍最高司令部総長()と呼ばれ、形式的には国務大臣に同位であるが、従来の意味の国防大臣ではなく、軍事指揮権を持たない事務職であった。 戦争指導の最終的な決裁は、国防軍最高司令官であるヒトラー、国防軍最高司令部総長、陸軍総司令官、海軍総司令官、空軍総司令官、親衛隊全国指導者、外務大臣ほかが出席するいわゆる総統大本営で行われた。 カイテルは、この会議では最高司令官であるヒトラーの作戦指導に異を唱える参謀将校や歴戦の軍司令官を押さえ込む役割を演じた。カイテルはこのためか敗戦まで国防軍最高司令部総長の地位に留まることができた。 国防軍最高司令部の本部は、1939年第二次世界大戦直前にベルリンの南 24km のヴュンスドルフ () に完成した巨大な地下施設(秘匿名称:)に移されたが、第二次世界大戦開戦後はヒトラーは前線近くに指揮所を設けたので、ヒトラーが滞在するところすべてが、「野戦の移動」国防軍最高司令部となった。ベルリンの総統官邸、ベルヒテスガーデンの山荘(ベルクホーフ)、オストプロイセンの深い森の中に建設されたヴォルフスシャンツェ等がそうである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国防軍最高司令部 (ドイツ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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